| |
名 称 |
所在地
|
特 徴
|
| ● |
県立美術館 |
出羽町2-1 |
前田家尊経閣文庫の所蔵品を公開、常設展示するほか、各種の企画展示を行う。昭和34年兼六園の一角に建設され、昭和58年現在地に拡充移転した。 |
| ● |
県立美術館裏散策道 |
出羽町〜本多町 |
美術の小径とも呼ばれる。崖状の山肌に本多町側へ下りる階段が整備され、鬱蒼と生い茂る森の中、森林浴が楽しめる。 |
| ● |
県立歴史博物館 |
出羽町3-1 |
昭和43年に開館した石川県立郷土資料館が、昭和61年移転し再発足した。「常設展示」「テーマ展示」「企画展示」の3つの部門で構成され、実物展示を基本としている。 |
| ● |
藩老本多蔵品館 |
出羽町3-1 |
加賀藩家老本多家代々の愛用した武具・調度品などが展示されている。この一帯はもと本多家邸のあった場所である。 |
| ● |
県立能楽堂 |
石引4-18-3 |
昭和43年、能楽・邦楽等伝統芸術文化の保存振興のため建設。舞台は昭和7年、広坂に開設した金沢能楽堂から移築された。 |
| ● |
石川護国神社 |
石引4-18-1 |
明治以来の各事変、戦争において石川県に縁故のある戦没者の霊4万8000余を祀る。 |
| ● |
本多の森 |
本多町 |
元は本多家の広大な屋敷であった。緑豊かな散歩道とともに、県立美術館や藩老本多蔵品館、中村記念美術館などがあり、森林浴をかねた美術館めぐりもできる。 |
| ● |
石川厚生年金会館 |
石引4-17-1 |
黒川紀章の設計で昭和52年開館。財団法人厚生年金事業振興団が運営する健康文化センター。ホール1754席、ホテルは定員72人。集・宴会、婚礼披露宴場7室等がある。 |
| ● |
広坂 |
出羽町 |
旧金沢城本丸下あたりから小立野台へ上る坂。加賀藩時代から明治中期頃までは本多安房守邸があったので、安房殿坂もしくは作事坂といわれた。 |
| ● |
八坂 |
東兼六町2-37 |
昔この付近に、きこりが通う八つの坂があったのでこの名がついた。のち一筋が残り「宝憧寺坂」「伊予殿坂」とも呼ばれた。 |
| ● |
旧ウィン邸 |
石引3-2-10 |
明治24年(1891)アメリカ人宣教師T.C.ウィンの設計・建築。異人館構成となっているが、和風の工法も随所に取り入れられている。 |
| ● |
大橋邸のイチョウ |
石引3-2-5 |
高さ20メートルのイチョウの大木。うっそうとした森の様相を呈す広い緑の敷地に、ひときわくっきりと樹影が浮かぶ。 |
| ● |
旧第二中学校三尖塔校舎 |
石引3-4-31 |
明治32年9月竣工。校舎中央の屋根に三尖塔が建つため「三尖塔校舎」と呼ばれている。明治期の旧制中学校木造建築として、原形のまま保存される全国でも珍しい貴重な建物。 |
| ● |
宝円寺 |
宝町6-14 |
曹洞宗寺院。江戸時代には同派触頭。前田家菩提寺の一つ。当初223石あった寺領は、後に213石となる。 |
| ● |
馬坂 |
扇町5-21 |
昔「六曲り坂」ともいわれ、浅野川沿いの農民が小立野台へ馬をひいて草刈に通った道なのでこの名がついた。坂の途中に馬坂不動寺がある。 |
| ● |
木曽坂 |
東兼六町 |
宝円寺と小立野台の間は深い谷であり、渓流が信濃の木曽路に似ているといわれ、この名がついた。 |
| ● |
慶恩寺のシダレザクラ |
石引2-5-30 |
満開時の鮮やかさは絶品であり、兼六園のものに匹敵する。昭和18年に植えられた。 |
| ● |
新坂 |
石引 |
藩政初期、嫁坂のあとにできたので、この名前となる。「小立野新坂」「笠舞新坂」とも呼ばれている。 |
| ● |
嫁坂 |
石引 |
本多町の奥から小立野へと上る坂。藩政初期、篠原出羽守が娘を本庄主馬へ嫁がせる時に造り広げた坂なので、この名がつく。 |