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石引パビリオン>兼六園

 加賀藩5代藩主の前田綱紀が造園を始め、13代藩主斉泰の時に今の形になった。日本三名園の一つ。

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みどころ 店舗・飲食店
  名 称
所在地
特 徴
兼六園 兼六町 特別名勝。水戸の偕楽園、岡山の後楽園とともに、日本三名園の一つに数えられている庭園。宏大、幽邃、人力、蒼古、水泉、眺望の6つの景勝を兼ね備えた庭との意から命名された。
時雨亭 兼六園 安永2年(1773)ごろ、11代藩主前田治脩が建て御亭として使用していた。明治初期に撤去されたが、平成12年3月、120年ぶりに現代的な使用方法を考慮して新築された。
長谷池 兼六園 もともとこの付近は馬場であったが、明治になり当時の金沢市長であった長谷川準也の邸宅へと変わり、この名がつけられた。
さざえ山 兼六園 13代藩主前田斉泰が霞ヶ池を掘り拡げた際に出た土を盛り上げ築山した。高さ9メートル、周囲約90メートルある。
霞ケ池 兼六園 兼六園のほぼ中央部にある一番大きな池で、ここからの眺めは四方それぞれ趣が異なり、近景、中景、遠景の造園手法が駆使されている。
ことじ灯籠 兼六園 兼六園の象徴となっており、足が二股になっていて、ちょうど琴の糸をささえる琴柱に似ているのでこの名がついた。
虎石 兼六園 霞ヶ池北岸の笹やぶの中にあって、ちょうど虎が前足を低くして吠えているように見えることからその名がついた。自然石で能登外浦のあたりの石といわれている。
虹橋 兼六園 赤戸室石の反橋で琴の形のようにゆるやかな曲線を描いており、琴橋とも呼ばれている。長さ4.99メートル、幅1.1メートルの一枚橋である。
唐崎松 兼六園 長い間、せん定・整姿を繰り返し仕立てられたクロマツで、霞ケ池に面して低く枝が水面を覆うように広がっている。兼六園の中で最も枝ぶりの見事な木である。
旭桜 兼六園 兼六園内随一の老樹であったため、大桜ともいわれていたが、昭和12年頃までに枯死し、現在は2代目の「ワキ芽」ひこばえが残って大きく成長している。
雁行橋 兼六園 11枚の赤戸室石がちょうど夕空に雁が列をなして飛んでいるような形に並べられている。石の1枚1枚が亀の甲の形をしており、亀甲橋ともいわれる。
瓢池 兼六園 兼六園で最も古い泉水で、以前は蓮池庭と呼ばれていた。池の中ほどがくびれて瓢箪の形をしているのでこの名がついた。
夕顔亭 兼六園 安永3年(1774)に建てられた茶亭で、蓮池庭にあった四亭の一つである。茶室内の壁に夕顔の透かし彫りがあるのでこの名がついた。
黄門橋 兼六園 独創的手法によって、大きな橋台の端に115度の角度で斜めに橋が架けられており、橋の用と美の調和が図られている。
噴水 兼六園 藩政末期につくられた噴水で日本最初の噴水と考えられる。自然の水圧であがっており、霞ヶ池を水源としている。
兼六園菊桜 兼六園 千歳橋上流の右岸曲水沿いにあり、一つの花柄から300枚を超える花弁がつき、菊の花のようなところからこの名がついた。
雪見灯籠 兼六園 雪見橋の下流、曲水の中に立ち、石質は御影石で脚は3本、笠は六角形で大きい。火袋も高さは41センチ、間口31センチの大型のものである。
日本武尊像 兼六園 銅像の身長は5.5メートルで日本で最初に建てられた銅像といわれている。剣が反っているのは、おかしいとの指摘もある。
夫婦松 兼六園 正面向かって左がクロマツ(雄松)、右がアカマツ(雌松)の寄せ接ぎで、接ぎ目の下の高さは、2メートルある。
根上りの松 兼六園 兼六園名物の一つに数えられる、高さ15メートル余のクロマツ。大小40数本の根が地上2メートルにも達し、見上げるようにそびえ奇観を呈している。
花見橋 兼六園 擬宝珠のある欄干がついた木橋で、橋からの桜花の眺めが素晴らしいところからこの名がついた。5月、この橋から見える満開期を迎えるカキツバタは圧巻である。
鶺鴒島 兼六園 この島には鳥居の奥に陰陽石(誕生)が配置され、傍らに相生の松と呼ばれる雌雄の松(結婚)があり、右手に五重の塔(死)が建っており、人生の三儀式を表している。
蓮華寺灯籠 兼六園 笠の背が高いのが特徴で、屋根に瓦葺を示す段があり、定紋が彫られている。笠は御影石、火袋は越前石、中台は青戸室石で定紋が一面に三個ずつ刻んである。
山崎山 兼六園 小立野口付近の築山を指し、昔このあたり一帯を山崎の荘と呼んでいたことからこの名がついたとされる。
御亭(山崎山) 兼六園 高さ9メートル、周囲約160メートルの山崎山は山頂に茅葺きの御亭があり、山裾から散策路が通じている。
金城霊沢 兼六園 文政2年(1819)12代藩主前田斉広がつくった泉で、いつも清水をたたえており、金沢の地名の起こりとなったといわれている。
疣石 兼六園 俗にいぼとり石と呼ばれている石で、青黒い楕円形をしている。この石でいぼを擦ると落ちると信じられている。
津田玄蕃邸の遺構 兼六園 加賀藩1万石の重臣、津田玄蕃邸の遺構であり、御殿破風の屋根や式台など外観は、ほぼ原型のまま残されている。現在は兼六園管理事務所として使用されている。
芭蕉句碑 兼六園 元禄2年(1689)奥の細道の途中、金沢で作った俳句「あかあかと 日は難面も 秋の風」が彫られている。
金沢神社 兼六町1-3 12代藩主前田斉広が創建した神社。竹沢御殿御鎮守天満宮と称され、祭日には藩士および町人の参詣も許されたという。
成巽閣 兼六町1-2 前田家ゆかりの器具調度品を展示する。文久3年(1863)建築。金沢城の巽の方角にあるため「巽新殿」といわれた。明治7年(1874)に「成巽閣」と改称。


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