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尾山パビリオン>金沢城址

 石川門と三十間長屋の遺構が残る加賀百万石のシンボル。

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みどころ 店舗・飲食店
  名 称 所在地 特 徴
金沢城址公園 丸の内 兼六園と一体となった緑豊かな都市空間。現在、菱櫓や五十間長屋などの復元、各種広場の整備が進められている。
金沢城石川門 丸の内 かつて金沢城の搦手(からめて)を守っていた門。3つの櫓から成る堂々たる城門で、なまこ壁のつらなりの上に、すっきりとした姿を見せる。
金沢城三十間長屋 丸の内 城跡の西南端にある長さ48メートルの低層の建物。かつては兵糧庫として利用されていた。
五十間長屋 丸の内(金沢城址内) 菱櫓のそばにあった長屋で弓や筒の倉庫。明治14年(1881)に焼失したが、現在は復元が進められている。
菱櫓 丸の内(金沢城址内) 高さ約17メートルの三層の木造櫓。文字どおり全体がわずかに菱形になっており、柱や土台も菱形に加工されている珍しい櫓。
橋爪門続櫓 丸の内(金沢城址内) 菱櫓と対をなし、二の丸を防衛すると同時に三の丸から城の中枢部への入り口となる橋爪門の防衛力を高める三層の櫓。高さ約16メートル。
三の丸堀跡 丸の内(金沢城址内) 石川橋から石川門をくぐって出たところが旧の三の丸で、文禄の修築以降、この周辺に北への防備を固める三の丸堀、白鳥堀、いもり堀が造られた。
極楽橋 丸の内(金沢城址内) 金沢城本丸跡地付近にある。金沢城は3つの画期をもって形成され、第1期は天文15年(1546)加賀一向一揆の本拠としての金沢御堂時代があり、政治、信仰の中枢をなしていた。極楽橋の名は当時の面影をとどめるもの。
丑寅櫓跡 丸の内(金沢城址内) 文禄元年(1592)の築城の後、本丸に五層六重の大天守閣がそびえ、その四隅に丑虎櫓、辰巳櫓、乾櫓、申酉櫓が建ち威容をほこっていた。
鶴丸倉庫 丸の内(金沢城址内) 東ノ丸附段門跡に江戸期から残る土蔵を第9師団が被服庫として使用していた。
本丸植物園 丸の内(金沢城址内) 金大理学部の植物園があった。自然がよく残されており、周囲の植生もうかがえる。
辰巳櫓跡 丸の内(金沢城址内) 金沢城の四隅に建つ櫓のひとつ。中櫓がいくつも建ち、大阪城や駿府城と並び称されるほどだった。
百間堀 丸の内 2代藩主利長により拡張され、蓮池堀とされた。当初は空堀で、辰巳用水ができて水をたたえた堀となり、明治43年(1910)埋め立てられるまで続いた。堀の長さが150間(約270メートル)あったことから百間堀と呼ばれた。
石川橋 大手町 金沢市内の兼六園と金沢城の石川門を結ぶ。
いもり堀 丸の内(金沢城址内) いもり堀跡は金沢城と広坂通りに並行しており、明治以降テニスコートとその周辺道路、反対側は当時金屋御殿と呼ばれた尾山神社裏あたりにまで金沢城を囲むように延びていた。
いもり坂 丸の内 外濠公園から県体育館横、金沢城址公園へと通じる坂道。
甚右衛門坂 丸の内 尾山神社と尾崎神社のなかほどにある。金沢城址に続く5つの坂のひとつで、天正8年(1580)に、佐久間盛政の攻撃をうけ本願寺方の浪士、平野甚右衛門が奮戦、討ち死した坂として名づけられた。
大手門 丸の内(金沢城址内) 金沢城の正門。大きな升形門で、石垣の石も特大で全体が豪壮な構えで内部には高い櫓が設けられていたが、宝暦9年(1759)の大火後は再造されず、仮門のまま廃藩となった。


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